「何者かになりたい」熊代亨 読了

 

 熊代亨さんの「何者かになりたい」を読んだよ。

自分は今年は「知命」といわれる年齢になるんだが、「天命を知る」とかならないなぁという感じで未だに「何者かになりたい」という思いがくすぶってるんだと思う。

というか「何者にもなれなかったなぁ」の気持ちかな。

 

自分は「何者かになりたい」って気持ちがからオンラインサロンにはまって大失敗もしたし、SNSにのめり込んだり、ゲームに時間やお金をつぎ込んだりもしたから耳の痛い話も多かった。

中学の頃からの友人から指摘される位に「承認欲求」より「所属欲求」が強い奴でその上、おっちょこちょいで考えなしだから「たったひとつの冴えたやり方」がある気がして甘い言葉にも弱い。承認欲求もあるし。

読んでいて、「承認欲求」や「所属欲求」を求めて陥りがちな罠とか注意点とか気をつけたい点とか凄く勉強になるんだけど反発したくなるって言うか、「そんな優等生なの面白くない。」とか「そつなく賢く自分の利になる生き方って狡猾でやらしいな。」とか思っちゃうのは自分の中2病気質な気がする。純粋な心根信仰っていうか。いやなんか違うかな。

そういう戦略って大事って思う部分もあるけど、そういうの汚いみたいな、あとそんな小さく纏まるのつまんないというか。...子供かよ...

 

「「毒親の子供」という負のアイデンティティにはあまりこだわらない方がいいかもしれません。」という言葉に「一旦はその自覚が必要だと思うな」と思うと同時に必要以上に気持ちがざわついちゃうのは「毒親の子供」というのを自分が自分のアイデンティティにしてるからだと思う。

毒親の子供」をやめたときから自分自身を始められると思っているし、そうしたいと思ってるけど感情レベルでは思い切れてない部分もあるんだろうな。

 

「何者かになる」というのは「他の何者かになれない」ということでもある。

っていう言葉が一番ずしんと来た。

最終版に出てくるんだけど、そこまで読んでて色々と自分が引っかかってしまう所ってこれが納得したくないというか受け入れたくない部分もあるのかなと。

強欲なんだろうな。

 

 

冷静に考えると「何者かになる」っていうのも手に入れてきたんだよな。

それだけに「他の何者かになれない」って言う部分切ない。

自分は日雇い肉体労働の親もとでハーモニカ長屋で育って自分も鳶や土方手伝ったりで、小学校の時に同級生のサラリーマンの父親を初めて見たときに同じ人間とは思えなかったし、生活も異世界のものようだった。

でも、結婚した相手は大卒のサラリーマンで崩れかけた家からは抜け出したしあの世界からは抜けてしまったし、戻りたいとは思わない。

あの猥雑さにも優しいところがあったなとは思うけど、美化してるしやばいこともいっぱいあるの知ってるし。

でもなんか異世界にきちゃったなぁという違和感は時々感じる。所在のなさというか。

でも、ブルーカラーの世界って(なんかブルーカラーっていうとかっこいいな。そんな綺麗な感じじゃないんだけどな。)自分の大元に在るもので消えないんだけど、もう今は自分の世界じゃないんだよな。そういう引き裂かれてるのもやっぱアイディンティのひとつなのかな。

 

それだけに「当たり前過ぎるかけがえのなさ」を手放すな」も耳にいたいな。

「隣の芝生は青い」で色々周りをうらやましがって、自分は何にもない。自分は何者でもないって思っちゃうけど手にしてるものも沢山有るし。それは大事にしなきゃいかんよなって思う。

 

とっちらかっちゃうや。また読もう。フックされるところ、どの本を読んでもそうなんだろうけどやっぱ自分の問題だったり、話なんだよな。