「摩利と新吾」のドジさまのインタビューを読んで。

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もう、入荷案内とか待ってられなくて本屋さんに行ったら今日入ってきたみたいで「摩利と新吾」の完全版1.2を無事入手することができた。

「夢の碑」から入ったファンなので初めて見るカラーとかたくさんあって最高!!

で、インタビューをワクワクして読んでたんだけど、思いがけずドジ様が中島梓さんの事を語ってらっしゃってた。

 

色々な感情が渦巻いて、はらはらと泣いてしまった。

 

自分は長い事、ドジ様こと木原敏江さんと中島梓さんが大好き。

ドジ様の編集で梓さんの執筆もある「シルクロードのシ」やドジ様の画集「虹の森の鬼」での梓さんの木原敏江論、グインサーガでのドジ様のイラスト入りの解説。画集「夢占船」や「小説道場」に収録されている栗本薫さんによるドジ様イラスト付きの「摩利と新吾」の2次作品。栗本薫さんの「魔都」や中島梓さんの「魔都ノート」のドジ様の表紙。

色々なところから見える大好きな二人の作家さんがとても仲がいいというのは、なんだかちょっと変なんだがとてもうれしいエピソードだったし。

それぞれがかかわるように出されてくる作品や文章がまた素晴らしくてワクワクしたものだった。

 

いつの間にかそういうのは途絶えた。

長く生きてくれば付き合いや付き合い方も変わるし。疎遠になることももちろんある。

それは別に仲たがいをしたわけではないというのだってわかる。

それこそドジ様とも梓さんとも個人的な付き合いがあるわけではない1ファンである自分にはお二人の関係がどうなっているかなんて実際のところわからないし。そうそう見えてくるものでもない。

それこそあんな風にその一部がみえていた時期があったというのも一つの奇跡だったとも思う。

いろんな意味で少女漫画だったりジュネだったり、ほかの何かの創世記にある「そういう時期にある奇跡。」

 

でも、そういうのが見えなくなったのがさみしかったのは正直あった。

ネットでいろいろな話やたくさんの人の憶測を見聞きするようになると読んでてつらいなぁって思うものもあったし。

 

そして、中島梓さんが逝ってしまう。

自分にとってとても大切な作家さんなので今でもつらい。

その時に梓さんとお付き合いがあった方々の追悼のコメントをいろいろ読んだ。

ドジ様のそれは自分が拝見した範囲ではなかった。

身近な人、いろいろな形でお付き合いがあった人が逝ってしまったときにコメントを出される人も多いし、ネットが身近になって自分も発言することはある。

でも、発言しなきゃいけないわけじゃないし、発言できないこともある。

身近だったらなおさらできないことだって多いと思う。

 

ドジ様と梓さんが交流があった事は自分が知ってるくらいだから、もちろんたくさんの人が知っていた。

梓さんが亡くなった時にそれを思い出して、ドジ様がそれに触れないことを訝しんだり、嫌なことをいう言葉をいろいろと見かけた。

外に向かって発言することだけが追悼じゃないし、発言してないからってなにも思ってないわけじゃないし、大体、発言しなきゃいけないわけじゃないし、それで嫌な感じな言葉を見かけるとつらかった。

例えばもう縁が薄くなっていてそこまで気持ちが動かないにしてもそれは悪い事じゃないし、それが他者から責められる事でもないのにとも思った。

好き勝手いうなぁって憤りがあったけど、その時、ドジ様がどう思われているかもちろん自分にもわからないし、なんだかどういってもうまく言葉にならないからそういうのは読んでそっと通り過ぎるようにした。

でも、ずっと自分の中で何かがくすぶっていた気がする。

 

今回のドジ様のインタビューでは梓さんのエピソードが優しく柔らかく、懐かしく語られていた。

ドジ様はずっと大切にその思い出を持ってらっしゃったんだなぁって思ったら涙が止まらなかった。

あとこの辺りは妄想なんだけど、ドジ様は外に向けて追悼の文を発表するのではなくやっぱり梓さんが逝ってしまったときにドジ様自身の中で悼んでいたんだろうなぁって。

そして、こんな形でお話しされるのにも10年かかったんだろうなぁって。

梓さんが逝ってしまったのは2009年の5月でもう10年たってしまうんだって思った。

でも、自分も相変わらず梓さんや栗本さんの作品を読み続けてるんだよなって。

相変わらず助けてもらってばっかりだよなぁって。

 

そして大好きな作家さんが同じ時代に生きていてくれるのは奇跡なんだなって思う。

ドジ様が生きていてくれて、先日「白妖の娘」の最終巻を届けてくださったのもすごい事なんだよなって思う。 

 

そしてインタビュー記事では、改めてドジ様のとても芯の通ったやさしさに触れさせてもらってすごく救われたし、なんだかうまく言えないけど「それでよかったんだな。」って思わせてもらえた。

 

いつももらってばっかで返しきれないものばっかりだけど、せめてファンレター書こうかなって思う。

いつも大好きだから。

 

まめぞう はだのお手入れ(2009年10月26日)

 

2009/10/16の日記が古いHPから出てきたんで保守 自分用ね。

 

まめぞう お肌のお手入れ大好き。(っていうか身に着けたり塗ったりが大好き。)
自分が乳液や化粧水や日焼け止めを塗ってると自分にも塗れって漆。気づかずにスルーしたときは泣き出しやんの。
 自分‥化粧は基礎化粧以外ほとんどしないんだけど口紅とか塗ってたらまめぞうも塗りたがるのかなぁ‥塗りだがるだろうなぁ。
 始終、着替えはしたがるし。かわいい自分が大好きなまめぞうなのでした。

おむつを替えるたびに乳液をおしりに塗れっても主張するんだよな。

 

子供の昔のエピって忘れてるから楽しい。

うちの息子、今でも「かわいい自分が大好き」

どこから来るんだ、その自信。

ボヘミアンラプソディ 応援上映楽しかった。

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ボヘミアンラプソディ 一昨日と昨日、二日続けてみてきた。 
昨日は応援上映。 
映画館、満員でみんなわくわくしてて、高揚感があって最高だった。 
騒がなきゃ!!!って感じじゃなくて、 
映画見て、あの映画だから体動かしたいとことか一緒に歌いたいところとかみんな歌う感じで楽しかった。 
静かな所はわりに静か。 
ちょっと心配だったんだけど楽しかった。 
みてると、切なくて、かわいそうで、かわいくて、キュートで、でもつらくてってぐるぐるするけど最高だった。 
映画見た後、ガスト入って、2時間以上大いに語った。 
興奮が冷めやらないんだもん。 

・・・でもさ、丁寧に作ってある映画だよね。 
そりゃ、びっくり要素とかはないかもしれないけど、すごい誠実な映画だったと思う。 
最後のライブはやっぱりぐーってくるよね。 
重低音、震撼て歌った音質良好の上映は楽しかったな。 
腹に来るし。 

ねこ、かわいかった。 
もう1回くらいは映画館で観ときたいなぁ。 

子供の読書

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小5の息子が学校からこんな冊子をもらってきた。

 

そこからの我が家の会話。

自分「別に読みたくなかったら本なんか読まなくてもいいけどねー。いいことな訳でもないし―。(活字中毒のけがある人)」

息子「おすすめ本に夏目先生の「坊ちゃん」があるよ。」

  息子の文豪ストレイドッグスの押しキャラは夏目漱石先生である。

  渋いな!!!

自分「あー、漱石は「坊ちゃん」より「吾輩は猫である」か「自転車日記」のが面白いよ。」

姉「文ストからは谷崎読んだよ。」

自分「谷崎は変態だからな・・・。」

姉「でも、綺麗だから。」

父親「文ストも谷崎でなおみちゃんだし。」

自分「文ストよんで久々に独歩よみかえしたよ。」

息子「それ、だれ?」

姉「国木田さん。」

息子「読んでみたいなー。」

自分「漢字にかなふってあるのあったかなぁ。またみるよ。」

父親「でもそろそろ少年探偵団あたりは押さえた方がいいよな、もう小5だし。」

 (ほとんどうわごと。だって自分が好きなんだよ。判るよおいらも好きさ。)

息子「推理物より冒険ものの方がドキドキするからルパンの方がいい。」

父親「奇岩城はよまないとね。」

自分「ルパンが出てたらルパンが主役だよねー。クリスティも冒険もの書いてるよ。ポアロとかヘイスティングが出てくるやつで。」

息子「ポアロさんって探偵じゃないの?」

自分「ポアロは何でもやるんだって。(暴言)」

息子「また、読みたい。」

父親「でも、推理物がスリルがないとかまだまだ甘いな!!」

息子「えー。でも探偵は失敗しても探偵のマイナスにならないじゃん。」

・・・甘いな・・・

自分「クイーンってそんなんだった?」(息子さんはエラリー・クイーンを読んでいる)

父親「まぁ、推理物は最終的にはハードボイルドまでいかないとな。」

自分「チャンドラーは読まないと。「長いお別れ」とか。もう、推理とかどうでもいいから。(暴言)」

息子「でもさぁ、音読してもらうと本を読むっていうのは本当だよね。ぼくやってもらったし。」

(唐突にもらってきたムックの話に戻る。)

自分「あー、「モモ」とか途中だからまたやらないとね。そろそろやろうか。」

息子「僕、ガンバがいいなー、ガンバ。」

 

あと、色々、具体的なそれぞれの押しの本の話になだれ込む。

お前ら、朝忙しいんだから支度しろ!!

 

ま、別に子供に無理に本を読ませなきゃって全然思わないし、他に楽しい事があったらそれがその子にとって本以上の意味があるしそれでいいと思う。

ただ、「読書好きな子供になってほしい。」とか「本を読んでほしい。」とか漠然と思ってても子供は本を読まないんじゃないかな。

あと、やっぱり子供に読ませたいなら自分が読まないとね。

おいらは子どもが読まなくても別に全然かまわないから自分の読みたい本をガンガン読むけどね。

うちみたいに本が散乱してる上にがつがつ本の具体的な話が展開されてると子供はほっといても読みたい本を読むよ。

 

しかし、うちの環境は本が嫌いだったらかなりつらいと思うのでみんなそれぞれに本を読む人で良かったです。

 

 

 

マキノ雅弘の作品がもっと評価されますように

鴛鴦歌合戦を聴く。


鴛鴦歌合戦

 

 布教活動という事で一押しの「マキノ雅弘」監督を紹介する。

 

 日本の映画・芸能の一家 マキノ家の要

 日本映画の父 牧野省三の長男

 生まれながらの活動屋 マキノ雅弘である。

 

 日本の映画界というのは牧野省三から始まった。

かれは文字通り私財を投げ打って日本映画界を立ち上げた。

 日本映画界の出発というのは基本、家内制手工業なのである。

 

 私財というのは人的私財も含まれ、マキノ雅弘は幼少の頃、役者として映画人との人生をスタートさせる。

 父に反発もあり、一度は映画から離れるが、まぁ、色々あって映画界に戻ってくる。

 彼の人生は、彼の作る映画同様、はちゃめちゃに面白いので気になった人は

 

映画渡世・天の巻―マキノ雅弘自伝

映画渡世・天の巻―マキノ雅弘自伝

 

 

こんなのを読んでみると楽しい。「地の巻」「天の巻」と2冊出てるよ。

サービス精神旺盛な監督なんで話がでかくなってる部分は沢山あると思うけど、うっかり全部本当かと思うぐらい面白いよ。

 日本映画界、黄金期の息遣いも感じられてワクワクするよ。

おすすめ。

 

まぁ、今回は作品の布教活動なので作品の紹介をする。

 

鴛鴦歌合戦 [DVD]

鴛鴦歌合戦 [DVD]

 

 

 「鴛鴦歌合戦」

撮影10日間で取り上げたという伝説の映画。

 早撮りで有名なマキノ監督にしても異常な速さ。

 

 主演の千恵蔵の撮影時間はたった二時間。企画から完成上映までわずか四週間という荒業。

 

 時間とお金をかければいい映画が出来るわけではないというのを見せつける、最高の娯楽映画である。

 

 脚本なんか書いている間はなかったし、役名も考えている間がなかった。志村喬の役名は「志村」、香川良介は「香川屋」、市川春代は「お春」、服部富子は「お富」、深水藤子は「藤尾」、ディック・ミネは「峰沢丹波守」

マキノ監督が話を作りながら映画を撮ったらしい。

 全てが同時進行。

 

ちょうど『宮本武蔵』(1940・稲垣浩)の二部と三部の間に撮られたもので、その優秀な(笑)メンバーがそのままの移行でカメラは「宮本武蔵」と同じく宮川一夫で絵日傘のシーンなど美しいシーン続出。

 映画の運もあったと思われる。

 

 一度聴いたら覚えられるそのフレーズの数々は楽しくて仕方ない。

いつもすかしてる千恵蔵のギャグテイストも楽しい。

 志村喬の歌のうまさにびっくり。

 

 純粋な娯楽映画。お正月にお酒飲みながら見るのにぴったりな映画だよ。

はいか版が1000円で出てる。購入して損はなし。

・・・・自分は以前、愛蔵版を購入したけどな。

 

 

次郎長三国志 第一集 [DVD]

次郎長三国志 第一集 [DVD]

 

 

もう一本は「次郎長三国志

 全部で9本あるけど、1本で紹介だ。

 

なんだ、映画の素晴らしさ、面白さ、かわいらしさのすべてが詰まってる作品。

 

カンヌやアカデミー賞を取る事は決してないだろうが、娯楽らしい娯楽がなかった時代に、庶民の為に、映画を(もしかしたら映画だけを)楽しみにしていた人たちにまっすぐ届けられた作品。

 

 「七人の侍」(1954/黒澤明)の撮影のために「殴り込み甲州路」はクライマックス時に「ブタマツコロセ」の電報がやってきた。豚松役の加東大介は撮影中に引き抜かれ、マキノ雅弘はシナリオなしでラストを撮ったという。

 外国向けに作った時代劇も美しいが、日本の庶民のために作った「次郎長三国志」の美しさももっともっと評価されていいと思う。

 

 内容は正直に言うとひとりでは半端ものでやっていけない人たちが集まってみんながみんなの為に生きる。みたいな感じかな。

わいわい、皆で酒飲んでるシーンが一番多いような気がするよ。

 

 尾田栄一郎はワンピースで次郎長三国志がやりたいんだって。

 

そっか、それだったらワンピース終わらないよ。

だって、次郎長三国志、未完だし。

 完成度より別の所に大切なものがある作品群だから。

 

 新人、森繁久弥の可愛らしさが大爆発だったり、男の「あほな純情」があちらこちらにみられたり、日本の芸能の一つの頂点である張り子の虎三(廣澤虎三)の歌声を聴くことが出来たり。

 女の人がかわいく、かっこよく、いじらしかったり。

 男の人が情けなくて、かわいくて、かっこいい。

 

ワンピース ストロング・ワーズの解説で内田樹先生が「昭和残侠伝」とワンピースの共通性を語っているが、やっぱ「残侠伝」より「次郎長三国志」だと思う。

なんというか「残侠伝」よりもっと、ほのぼのしてて、野暮ったくて、いじらしいんだよ。

もっと仲間、仲間してるんだな。

 

 勿論、内田先生は次郎長三国志も知っていて、世の認知度から「昭和残侠伝」を引き合いに出したと思われるけど。

 

 「3丁目の夕日」でやりたかったすべてが多分ここにあるよ。

 

 岡本喜八監督が助監督を務めたシリーズでもあり、後半は監督業もなかば岡本喜八がやっていたという作品。

 日本映画界 青春の1ページだね。

 

とにかく、活動屋とか、活動写真とか、牧野組とか、失われつつある日本映画界の匂いがそこかしこに感じられる作品だよ。

  

 尾田栄一郎のカバーイラストでDVDが出直し、レンタルでも見かけるこの頃、ワンピースファン、日本映画ファンが一度は押さえておいて損はない作品だ。

 

 必見。 

私はスクリーンで観ないでかかれた文章を映画批評とは思わない。

最初に結論から言ってしまうと、私自身はスクリーンで観ないでかかれた文章を映画批評とは思いません。

 

・・・何故こういう事を唐突に言い出したかというとツイッター内田樹先生が

 とつぶやいてらっしゃったからです。

ツイッターでこういうこと言ってる人がいるけどそれは違うんじゃないかなーって程度の事をツイッターで自分もつぶやいてお茶を濁そうかと思ったんだけど一晩考えても何故か違和感だらけでちょっとブログで自分がどうしてこんなに引っかかってるか書いてみたくなりました。

 

前提として自分は淀川長治先生を幼少のころポプラ社から発行されていた「僕の教科書は映画だった。」から心酔して映画に対する色々な考え方は自分で考えたり身につけたりというよりまんま淀川先生の影響です。だからオリジナルな考えは一つもない事をまず表明しておきます。

スクリーンで観ていない映画について文章を書くことを否定しません。というかそれはありだと思っています。プロでもアマでもです。ただスクリーンで観ていない映画について文章を書く場合、それは評論とはなりえないと思います。

映画はスクリーンで観るように作られています。自分も映画体験はテレビから始まったのでかなりの数の映画はテレビで観ています。そしてその後リバイバルなどでスクリーンで観たものもあります。

その体験に上下はありません。テレビで観たから下でスクリーンで観たから偉いという事は全然ないです。

自分も「カリオストロの城」は最初レコードでした。自分にとってはカリ城は長い間何十回と市の視聴覚センターで聴いた音が全てで凄く楽しんだしいつもわくわくしました。のちにテレビやリバイバルでスクリーンで観ましたが体験に音だけのカリ城が色あせる事は全くありませんでした。

ただ、テレビで観る作品とスクリーンで観る作品は全くの別物です。大抵の場合、映画はスクリーンで観るために作られていて、光や影、映像、音といった部分でテレビでは伝えきれないものが沢山あります。その部分はテレビで観ても決して判りません。

映画についてのコラム、監督についてや物語など一部についてはテレビだけの視聴でも語る事はできると思います。でもそれは決して「映画の評論」ではないと信じます。

自分は既に活動を停止されているブログのm@stervisionさんの映画の評価サイト

m @ s t e r v i s i o n | principle and policy with profile

にあるように「 映画館、スクリーン以外で流れるものはやはりモニターに表示されるの映画に似たなにかでしかない。」(ちょっと端折ってます。)

に同意します。

ただ、これはテレビなどで観る事が価値が下だという事ではないです。

でも明らかに違うんですよ、映画館で観ないと受け取れないものがあって「映画」として作っている以上それは作品の「肝」だと信じるのです。

だから監督自身が喜んでいるコメントが付いているので本当に余計なお世話なんですが、映画館で売られるパンフレットに乗せる文章がDVDで書かれていてそれをかく人を「映画評論家」とそこにかかれたものを「評論」と呼んでしまう事に、違和感を、もっと言ってしまうと怒りを感じてしまうんです。

それは劇場に足を運んでパンフレットを購入する客に失礼過ぎやしないかと。(本当は映画を作っている人たちにも失礼だと思うんだけど・・・)

依頼があるから仕方ないじゃないか、そこに需要があるんだからという向きもあるかもしれないけど、映画館まで足を運べないなら依頼を受けなきゃいいのにって思ってしまいます。文章の最後を観るとご本人もそこに違和感を感じているみたいですし。

なんというか自分、小学校の3.4年生の頃から淀川先生を追っかけてたんで公平には観てないです。内田先生ももう20年くらい書籍など読ませていただいて勉強になる事も多いですが、どっちに肩入れしてるかといえば淀川先生です。

全然公平じゃないです。

ご本人にお会いしたことはありませんが、淀川先生は全身全霊で映画を愛してらっしゃいました。テレビの洋画劇場のコメントはスクリーンで観たことが当然あるけどすべてテレビで視聴してから解説をされていたというエピソードは有名です。

試写会で業界関係者がいいかげんだったり、態度が変だったり、おざなりに映画を観ると厳しく叱ったというエピソードも色々と他の人達から伺ったり読んだりしいます。

淀川先生は凄く好き嫌いがはっきりしてらっしゃってお嫌いな映画はけちょんけちょんに語るし、言葉も結構ずばずば怖いです。

でも映画に対する愛情は深い方で、映画評論、批評、広告もいいかげんな態度で臨むことは自分も周りにも許さなかったと思います。

で、思うんです、映画のパンフに乗せる文章をスクリーンで観てないで書く、それを良しとする監督、依頼する映画関係者。淀川先生はその存在にきっと深く悲しみ、深く傷つき、深くお怒りになると思うのです。

で、やっぱりそちらのほうが正しいと思うんです。

映画館に来ているお客さんに売る映画のパンフレットの解説が「映画ににたちがう何か」をみたものを書いて関係者がよしとするとかやだなと思います。

 

内田先生は自分はその道のプロではないというのかな?命を映画にささげた淀川先生と同じ線で語られるのは困るのかな?

でも映画について好き嫌いを言うのでなく、良し悪しや「評論」をするのであれば「映画に似たなにか」を観て書くのでなく「映画」を観て書いてほしいなと一映画ファンとしては思ってしまいます。

そしてそれができないなら依頼を受けなきゃいいのにと。

内田先生にとっては沢山あるうちのひとつの仕事なのかもしれないんですが、正直悲しくなってしまいました。

なんかまとまりませんが、映画の評論はせめて映画を観てしてほしいな。

この監督は本当にそれでいいのかな?映画館で観てくれる客に対しては何の違和感もないのかなってもの凄く引っかかってしまいました。

 

淀川先生がなくなってから色々な映画関係者の方達の文章で「淀川さんが生きていたら。」って文章や発言してる映像をことあるごとに見かけます。

 

淀川先生が今生きてらっしゃったら日本の映画界に対してなんていうんだろう。

そういうのを沢山の人が聞けたらどうなるんだろうって改めて考えてしまいました。

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わらわの事 みんな坂田靖子さんの漫画を読むんだ!!

あー、やっぱりわらわってかわいい!!

ツイッター坂田靖子さんのお話をしてたら「わらわとは?」みたいな話が出たので以前のHPでおしてた「伊平次とわらわ」の紹介文を再掲。

みんな「伊平次とわらわ」を読んでわらわの素晴らしさを讃えよう!!

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坂田靖子著 「伊平次とわらわ 1」 第八話 狸 より(潮出版社

 

坂田さんのHP 坂田BOX( http://www2u.biglobe.ne.jp/~ysakata/  )  の中で
 「「自分の作品」に関して、個人のホームページ上では「出版社の利益を損なわない範囲」で、小さいものなら、なるべく自由に使っていただきたい。---と考えています。」
 のコメントを見たときからずっと狙っていた坂田靖子さんの「伊平次とわらわ」の紹介です。

 坂田さんの話はどれを読んでも嫌いがない…というか大抵大好きなんですが、「伊平次とわらわ」は別格。とくにわらわが3号の中では別格のお気に入りです。
 話は、坂田さんのサイトのお仕事箱の「平安の闇と鬼」

http://www2u.biglobe.ne.jp/~ysakata/work/manga/heian/heian.htm

を読んでもらった方がいいといいかもしれないけど、ちょっとがんばってみます。
 伊平次は墓場のはずれに住んでいる墓守です。で、中納言の姫と名乗る犬、わらわがいつの間にか住みついてしまいました。この二人の生活に紛れ込んでくる(というか生活の一部)物の怪や化け物たちや人々と彼らのお話のいろいろです。
 基本、一話完結の短編集、いま2巻まで出てます。(また、書かないかなぁ、坂田さん。)テンポよく笑わせてくれます。さぁ、皆さん本屋さんへ走るんだ。今だったら同出版社より文庫本も出てるぞ。お願い、誰かわらわのすばらしさについて語り合おうよぉ。
 
 そう、この話、わらわがいてこそだと思う。ある意味こんなに大好きな漫画のキャラっていないなぁ。
 とても食いしん坊で(というかいやしんぼで)、文句が多くて、おこりんぼで、わがままで、マイペースで。すっごい、かわいいの。
 ぜんぜん、懲りなくて、しぶとくて、能天気ぶりが最高なの。
 わらわが一緒に住んでくれるならがんばってわらわのごはん代くらいかせくぞと思うのです。でもすぐに文句を言いたくなりそうだけど。
 でも、なんだかんだといいながら伊平次がわらわを追い出さないのはわらわとの生活が楽しいからだと思うな。(いや、伊平次はまれに見るお人よしというかあるものをそのまま受け入れる人だからという部分も強いとは思うけど。)
 このお話、自分にとってはわらわは大好きな人で、伊平次は尊敬する人かな。伊平次のバランス感覚って最高なのよ。

 しかし、いいなぁ、伊平次がうらやましいなぁ。ずるいなぁ。独り占めなんて。

(とか言ってるとじゃぁ、お前が一緒に暮らせという声が聞こえそうだが。)
 ともかくわらわに会うために頻繁にこの本を開く3号ですが、もういいかげん話がわかっていても次の絵が判っていても、次の言葉がわかっていても彼女の言動と伊平次とのかけあい漫才に大爆笑してしまうのです。
 そこには確かに会話の間とか登場人物の確かな息遣いがあるからのようにも思います。
 
 坂田さんのお話はどんなに不思議な話でも脅かしたり、説得する風でもなくいつもその「確かにそこにある。」という形でお話が私の前にあらわれます。
 その気持ちよさが大好きです。わらわもなぁ、絶対、いる、もんなぁ。

 と言ってみたところでこんな文章じゃぁわらわのすばらしさは判りません。坂田さんの「伊平次とわらわ」
を読んで3号とお話をしてほしいです。よろしく。