どうして大淀病院産科医師の方を支援するのか

去年の8月に奈良、大淀で出産直後の妊婦さんが脳内出血でなくなられた件につき、亡くなられた妊婦さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 
 先日の日記でも書いたように私は去年の時点でこの報道(19件搬送断られた等)を見た時、
「病院が受け入れられなくて」「たらいまわしになってしまう」なんて怖い。と考えておしまいでした。

今年、初めての自分の妊娠をきっかけに
産科医療のこれから
http://obgy.typepad.jp/blog/cat769245/index.html
などのサイトに出会い、ネット上や、書籍などで調べていくうちにこれらの「医者、医療パッシング」ともいえる報道、医療崩壊を推し進めるような政策。それを喜んだり、無関心でいる自分自身を含める患者(や、何時患者になるかわからない自分たち)の無関心や身勝手な行動に不安や不満、反省を持つようになりました。

大淀の事件については色々と自分なりに調べるうちに病院の医師がパッシングを受けたり、逮捕拘留されたり、民事で訴えられたりは間違っていると思うようになりました。

小学生の親という立場、妊婦という立場から医療崩壊について大きな不安をもったり、報道の医師、病院たたきに不満をもったという事もあり、放置してあったオープンのブログを仕切り直しを始めした。

 でも、微々たる事でもできることがあれば大淀病院産科医の方を支援したい、それをオープンのブログで表明したいと思ったのはもうひとつ大きな理由があります。(もしかしたらこれが一番の理由かもしれない。)

妊娠をきっかけに、ネット上で医療関係の方々のブログを読み、現状を知るにつけ疑問がわきます。

どうしてそれでも医療関係の仕事を続けるんだ。


「勤務医であれば365日24時間拘束である。」
「給料もそういいわけではない。」
「救急を支える当直はほぼ医師のボランティアで成り立っている。」
「一生懸命働いていてもいつ逮捕されるか、訴訟で訴えられるかわからない(しかも不当に負けることが多い。)」
「滅茶苦茶な医師、病院たたきのパッシングにさらされる。」
「権利意識ばっかり過剰に発達してたり、初めから疑ってかかったり、滅茶苦茶な要求をしたり、場合によっては(払えても)医療費を払わない、暴力をふるう患者もいる(でも断れない。)」

‥なんでやめないんだ。

実際、18時間以上労働が普通の勤務が3年以上続き(でも、月に3.4日は休日があった。)「私は駄目だ。」とリタイヤし、退職した事がある自分は、その末期頃の自分を思い出すに付け、疑問で仕方なかった。

「お産が好きだから。」
「医術は仁術とか本気でおもってるから。」

特に産婦人科の方を中心にブログをまわっているので本当にこの言葉には沢山つきあたった。
「お産がすきだから。」

「お産がすきだから。」

「お産がすきだから。」

参考;スーザンのスーザン的世界 「燃え尽きるということ」   http://blog.goo.ne.jp/takayarisa/e/f428d37a2e09b08879a7868e63d7e534

   


健全な思考回路だ。なんて、健全なんだ。
‥と思うにつけ正直妊婦で情緒不安定な部分もあるんだろうけど、ぶち当たるたびに泣きそうになる。
自分より年上で知性も教養もはるかに高い人たちに対して失礼にあたるんだけど、なんか健気過ぎて不憫で申し訳なくなちゃったんである。
 こんな人たちを追い詰めて燃え尽きさせちゃうなんて駄目だよ。許されないよと強く、強く思う。

政治は選挙権のある自分たちの問題だ。センセーショナルで無責任な報道はそれを無責任に喜び楽しむ視聴者の存在があってこそだ。患者や患者になる立場であれば、不当な要求やおかしな事を自分はしないという事は出来る。
 
 「自分自身の問題なんだ。」と自覚して意識し続ける事が大事だと思うわけです。