「摩利と新吾」のドジさまのインタビューを読んで。
もう、入荷案内とか待ってられなくて本屋さんに行ったら今日入ってきたみたいで「摩利と新吾」の完全版1.2を無事入手することができた。
「夢の碑」から入ったファンなので初めて見るカラーとかたくさんあって最高!!
で、インタビューをワクワクして読んでたんだけど、思いがけずドジ様が中島梓さんの事を語ってらっしゃってた。
色々な感情が渦巻いて、はらはらと泣いてしまった。
ドジ様の編集で梓さんの執筆もある「シルクロードのシ」やドジ様の画集「虹の森の鬼」での梓さんの木原敏江論、グインサーガでのドジ様のイラスト入りの解説。画集「夢占船」や「小説道場」に収録されている栗本薫さんによるドジ様イラスト付きの「摩利と新吾」の2次作品。栗本薫さんの「魔都」や中島梓さんの「魔都ノート」のドジ様の表紙。
色々なところから見える大好きな二人の作家さんがとても仲がいいというのは、なんだかちょっと変なんだがとてもうれしいエピソードだったし。
それぞれがかかわるように出されてくる作品や文章がまた素晴らしくてワクワクしたものだった。
いつの間にかそういうのは途絶えた。
長く生きてくれば付き合いや付き合い方も変わるし。疎遠になることももちろんある。
それは別に仲たがいをしたわけではないというのだってわかる。
それこそドジ様とも梓さんとも個人的な付き合いがあるわけではない1ファンである自分にはお二人の関係がどうなっているかなんて実際のところわからないし。そうそう見えてくるものでもない。
それこそあんな風にその一部がみえていた時期があったというのも一つの奇跡だったとも思う。
いろんな意味で少女漫画だったりジュネだったり、ほかの何かの創世記にある「そういう時期にある奇跡。」
でも、そういうのが見えなくなったのがさみしかったのは正直あった。
ネットでいろいろな話やたくさんの人の憶測を見聞きするようになると読んでてつらいなぁって思うものもあったし。
そして、中島梓さんが逝ってしまう。
自分にとってとても大切な作家さんなので今でもつらい。
その時に梓さんとお付き合いがあった方々の追悼のコメントをいろいろ読んだ。
ドジ様のそれは自分が拝見した範囲ではなかった。
身近な人、いろいろな形でお付き合いがあった人が逝ってしまったときにコメントを出される人も多いし、ネットが身近になって自分も発言することはある。
でも、発言しなきゃいけないわけじゃないし、発言できないこともある。
身近だったらなおさらできないことだって多いと思う。
ドジ様と梓さんが交流があった事は自分が知ってるくらいだから、もちろんたくさんの人が知っていた。
梓さんが亡くなった時にそれを思い出して、ドジ様がそれに触れないことを訝しんだり、嫌なことをいう言葉をいろいろと見かけた。
外に向かって発言することだけが追悼じゃないし、発言してないからってなにも思ってないわけじゃないし、大体、発言しなきゃいけないわけじゃないし、それで嫌な感じな言葉を見かけるとつらかった。
例えばもう縁が薄くなっていてそこまで気持ちが動かないにしてもそれは悪い事じゃないし、それが他者から責められる事でもないのにとも思った。
好き勝手いうなぁって憤りがあったけど、その時、ドジ様がどう思われているかもちろん自分にもわからないし、なんだかどういってもうまく言葉にならないからそういうのは読んでそっと通り過ぎるようにした。
でも、ずっと自分の中で何かがくすぶっていた気がする。
今回のドジ様のインタビューでは梓さんのエピソードが優しく柔らかく、懐かしく語られていた。
ドジ様はずっと大切にその思い出を持ってらっしゃったんだなぁって思ったら涙が止まらなかった。
あとこの辺りは妄想なんだけど、ドジ様は外に向けて追悼の文を発表するのではなくやっぱり梓さんが逝ってしまったときにドジ様自身の中で悼んでいたんだろうなぁって。
そして、こんな形でお話しされるのにも10年かかったんだろうなぁって。
梓さんが逝ってしまったのは2009年の5月でもう10年たってしまうんだって思った。
でも、自分も相変わらず梓さんや栗本さんの作品を読み続けてるんだよなって。
相変わらず助けてもらってばっかりだよなぁって。
そして大好きな作家さんが同じ時代に生きていてくれるのは奇跡なんだなって思う。
ドジ様が生きていてくれて、先日「白妖の娘」の最終巻を届けてくださったのもすごい事なんだよなって思う。
そしてインタビュー記事では、改めてドジ様のとても芯の通ったやさしさに触れさせてもらってすごく救われたし、なんだかうまく言えないけど「それでよかったんだな。」って思わせてもらえた。
いつももらってばっかで返しきれないものばっかりだけど、せめてファンレター書こうかなって思う。
いつも大好きだから。