働くということ

派遣で働いている。今年の11月いっぱい働けば、8年間同じ職場で派遣社員として働いた事になる。
 出産を11月末予定に控え、9月契約満了時に退職予定だった。
 24日より新しい人に引継ぎ予定だった。新しい人は決定し意思確認も完了していた。

‥予定は未定だった。

 派遣元の担当が当日朝、青い顔をして駆け込んできた。派遣先担当者と話をした後、私の元にやってきた。
 「新しい人ね、携帯も自宅の電話もつながらないの。悪いけど、状況が変わったら10月、人が見つかるまで働いてもらえない?」
 ‥了承の意思表示、しましたとも。だって、派遣先では本当にお世話になっているし仲間だし、旦那もここの部署の社員だしな。
 次の日の午後、派遣元の担当が言いました。
 「‥本人と連絡取れたよ。病気で働けないんだって。」
 担当はとても疲れた顔をしていました。
 
 もちろん、事情はあろう。会社より自分が大事だ。もしかしたら本当に昨日はどうしても連絡が取れない状況だった可能性だって否定できない。

 ‥でも、十中、八九、ばっくれ、土壇場でのキャンセルだよな。という事で話を進める。
 なら、どうして当日朝、自分でなくともいい。親、友人を(親、近親者と騙らせる)使って断りの連絡をしてこない。どんな見え透いた嘘でもいいんだ。26歳女性。それくらいの機転もないのか。

 確かに今の日本の福祉制度には大きな問題があると思う。ひとつ踏み外すとセーフティネットの弱さから(そして悪化から)生命の危険にさらされる事だって実際ある。その延長で労働者の権利というのもやばかったり、悪化している部分もある。
 「派遣」という形態も雇う側の有利さが強く、悪い面も多い。だけど、「派遣」だって先達や、今現在働いている人たちの中で、自分だけでなく、「これから働く労働者」を視野に入れて、地道に活動し続けてくれた方たち、今もし続けてくれている人たちがいる。そのおかげで自分たちが手にしている権利は沢山ある。
 大体、日本(だけではないが)で女性が働くという部分に関して言えば例え色々と理想とは遠い部分があろうとも、現在私たちが当たり前のように受け取っている環境は先達の女性たちをはじめとする沢山の労働者とその支援者によって血のにじむような努力と息の長い、沢山の人たちがつないできた、他者のためへの活動の賜物だ。先達から受け取ったものだ。
 その流れの中で皆、働いている。実力不足で「理想に近づける仕事」はできなくとも、「受け取ったもの」を大事にし、「次に来た人に渡す。」というのは労働者の最低限の責任だと思う。

 難しいことじゃない。当たり前の事を最低限する。土壇場で契約を断るのはぎりぎり有だとも思う。(ほめられた事じゃが)連絡は入れようよ。土壇場で黙ってキャンセル、その行為がどれだけの人たちの努力と活動を踏みにじってることか。

 若者の就職難や就職氷河期にあたった人の問題や派遣、請負の問題が働く側から叫ばれる事も多い。実際、問題も多いし、必要なことだとも思う。本当に援助の手が必要な人たちもいるのはわかる。
 だけど、権利ばっかりで「働く側の義務」とか「今の環境への感謝」とか「自分のできる事をやる責任」を忘れちゃってる人たちもちょっと多すぎないか。
 で、こういう人たちが「がんばってくれた先達」「がんばっている人たち。」「これから来る人たち」「本当に援助を必要とする人たち」を踏みにじったり、多大な迷惑をかけたりするんだよな。
 自分、6ヶ月更新なんだけど、以前、1ヶ月更新になるかも知れないといわれた時、「どうして働く側は自己都合退社の場合1ヶ月前に申請しなければいけないのに、雇う側はいつでも切ることができる様な形態にするのか。それでは納得できないので1ヶ月更新に変更であれば更新はしない。」と対立したことがある。憤慨して派遣先の現場の課長格の人と話したことがあるが、「言う事は判るんだけど、実際、突然やめたり、こなかったり、続かなかったりする人が多くてスケジュール的に困るから6ヶ月更新ができないんだよ。」という話が出た。

 自分が恵まれているからそう思う部分もある、運もある。自分だけの力じゃないけど、あえて言えば「派遣で働く」というのは「個人事業主」である。と私は思っている。
 実力を蓄え、実際に示し、交渉し、知恵を蓄え、味方を増やし派遣元や、派遣先と共に働くぐらいを目標にするべきだと思う。もちろん向こうの方が有利な部分は多い。
 だけど、今の日本、健康であれば、それぐらいの気概で働くことはできると思うんだけどなぁ。
 たまたま恵まれた者の傲慢な物言いだろうか。
 でも、初めからあきらめたり、卑屈になったら、いい事ひとつもないと思うんだけどな。