ミーハー3号のおすすめSF

SFの古典とは?という質問をしてくださった方がいて

「ウエルズ、ハイライン、アシモフあたりかなぁ。」と答えてみたのですが、具体的なおすすめをちょっとまとめてみたかったのでブログに書いてみようかなと思う。

しかし、ミーハーなので「古典とは?」みたいなところからは外れるだろうしSFファンの方々からは眉をしかめるようなラインナップかもしれないけどうっかり見かけたとしても「こんなのがあってもいいさ」と笑って見逃してほしい。

取敢えず日本SFは抜かして海外編をやる。(だってそうしたら平井和正でとりあえず始まって終わってその後また再開するから。) 

あとブラッドベリはSF作家だけどSFというより幻想文学だったりホラーだったりするんで王道からは外れると思うんでまた今度にする。

まずは外せないのは

 

星を継ぐもの (創元SF文庫)

星を継ぐもの (創元SF文庫)

 

 いきなりハイラインでもアシモフでもウエルズでもないけどこれは外せない。

冒頭は少しだけ読みにくい。

・・・ごめん、嘘。冒頭はかなりとっつきにくい。でもそこを超えると本当に見る見るうちに読み切ってしまう。邦題が秀逸。めっちゃ面白いから。

科学的な空想に基づいたフィクションというSFを体現してる作品。

「星を継ぐもの」「ガニメデの優しい巨人」「巨人たちの星」3部作最後まで読んでって思う。本当に面白いから!!

でも自分の本棚にはこれしか見当たらなかった(涙)

おっかしいなぁ。先月「星を継ぐもの」はよんだんだけどなー。

 

タイム・マシン (1978年) (ハヤカワ文庫―SF H.G.ウエルズ傑作集〈2〉)

タイム・マシン (1978年) (ハヤカワ文庫―SF H.G.ウエルズ傑作集〈2〉)

 

「タイム・マシン」H・G・ウエルズ 

ここからSFが始まったとかうっかり言うとSFファンから総叩きにされそうだけどやっぱり「タイムマシン」とか「宇宙戦争」とかどきどきして読んだ。

ふん、ミーハーだけど自分だってSFファンだもん。

面白いし押さえておいてもいいじゃんって思う。

 

 

ラモックス―ザ・スタービースト (創元SF文庫 (618-8))

ラモックス―ザ・スタービースト (創元SF文庫 (618-8))

 

 「ラモックス」R・A・ハイライン

「スチュアート家のペットは、バカでかい宇宙怪獣だった。その名もラモックス。」

これを読むたび直後は

「世界で一番馬鹿らしくて最高で面白い小説はラモックスではないだろうか」

って頭の中が暴走するくらいにラモックスは最高。

本当に面白い。難しい話とかいいから。読んで笑えて元気になれればいいじゃん。

でもしっかりSF。

妹にも読み聞かせた。声に出すと笑いをこらえるのが大変。

表紙、挿絵の天ちゃんが「あまのよしたか」とひらがななのも最高。

「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」フィリップ・K・ディック

言わずと知れたブレードランナーの原作。公開当時は当たらなかったのにじりじりと評価が上がった映画だよね。

今の表紙より以前の表紙の方が好みなのでアマゾンでなく写真でアップ。

邦題もよくね??めっちゃかっこいい。

ブレードランナー」難解だっていうけど「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」はディックにしてはわりとストレートな作品だと思う。

・・・てか、他がわけわからなすぎなんだが・・・面白いけど。

しかし、何故「ブレードランナー」が難解かと言えば、やはり小説では色々丁寧に説明されている事を映画だと説明できないって部分が大きいと思う。

ブレードランナー」みて「わっかんねぇよ(怒)」って思ったら原作を読んでみるといいかと思う。やっぱ設定とか押さえてた方が面白いもん。

最初からディックらしくとばしてて楽しいから。電気羊のくだりは好きよ。

 

 

 「人間の手がまだ触れない」ロバート・シェクリイ

知的生命との接触にまつわるホラーとか時間と次元の話。

表紙が可愛らしかったんで(かわいくない?)当時ジャゲ買いしてよんで「うぉー。」って怖くなった短編集。

ブラックユーモアもりもり。でも楽しい。

読んで損はなし。

 

太陽系無宿/お祖母ちゃんと宇宙海賊 (スペース・オペラ名作選) (創元SF文庫)

太陽系無宿/お祖母ちゃんと宇宙海賊 (スペース・オペラ名作選) (創元SF文庫)

 

 太陽系無宿/お祖母ちゃんと宇宙海賊 スペース・オペラ名作選

スペース・オペラ楽しいから。宇宙冒険大活劇。

色々楽しめるんで名作選最高。どれも楽しいけど「お祖母ちゃんと宇宙海賊」「夜は千の眼を持つ」は特に好きかな。

色々読んでみてここから好みの作家と出会うのもいいと思う。

 

地球人のお荷物 (ハヤカワ文庫 SF 68 ホーカ・シリーズ)

地球人のお荷物 (ハヤカワ文庫 SF 68 ホーカ・シリーズ)

 

 ホーカーシリーズ「地球人のお荷物」「くたばれスネイクス!」「がんばれチャーリー」ポール・アンダースン&R・ディスクン

二人の共著になると途端に楽しくハチャメチャになるこの2人。

最高。

テディベアな宇宙人が巻き起こすハチャメチャな騒動は最高。

読んで、本当に読んで。楽しいから。

この2人、ひとりひとりになると硬質な作品を書いたりするんで面白い。

ホーカーシリーズ「あまのよしたか」シリーズでもある。挿絵も最高。

 

 

時間衝突 (創元推理文庫)

時間衝突 (創元推理文庫)

 

 時間衝突 バリントン・J・ベイリー

センス・オブ・ワンダー

めくるめる世界。びっくり箱。

完成度とか感動的とかたぶんそういうものとは無縁の世界。

読んでるとびっくりして、びっくりして、ビックリして終わる。

時間SFとはどういうものか読んでみないとわからないのでみんな読んでみるべき。

聖者の行進 アイザック・アシモフ

アシモフのクールな視点は気持ちいい。

色々説明不要な作家の一人だと思う。

どれ読んでも面白いけどこれ、真鍋さんの表紙がだいすきなんだよなー。

 

スラン (ハヤカワ文庫 SF 234)

スラン (ハヤカワ文庫 SF 234)

 

 スラン  A・E・ヴァン ヴォクト

「新人類」って言葉、本当は怖いよねって気持ちがじわじわくる。

この作家は本当に凄くて今読んでも全然古くない。

「宇宙船ビーグル号」も絶対に読むべき。(でも本が行方不明・・涙)

この人に直接、間接的に影響を受けてないSF作家とかSFアニメとかほとんどいないんじゃねって思うくらいにいろんなもののおおもとになった根源的な話をかいている。

どの話も超絶面白い。

 

デリラと宇宙野郎たち 未来史1

デリラと宇宙野郎たち 未来史1

 

 「デリラと宇宙野郎たち」「地球の緑の丘」「動乱2100」(未来史シリーズ)

R・A・ハイライン

 中編連作。

老いたる宇宙飛行士の悲哀とか月を売った男の最期とか本当にハイラインならではの物語が最高。

色々面白い。

歴史が編まれていくのを追えるのは面白い。

 

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

 

 幼年期の終り  アーサー・C・クラーク

はじめて読んだ時は読み終わったらさみしくなりすぎて行きつけの飲み屋さんに駆け込んだ。(実は初めて読んだのが二十歳の頃、遅いな!!!)

ずーんってくる。

面白い、うん、面白いとはちょっと違う。

色々考えちゃうね。

でもSFでこそ描き得た世界が凄い。

 タイタンの妖女  カート・ヴォネガット・ジュニア

最初、読んだ時はあんまり好きじゃなかった。

でも読み込んで来たらというか最近面白いと思うようになったのがカート・ヴォネガット・ジュニア

皮肉屋だなー。って思うけどなんかいいなと思うようになった。

人類救済に乗り出す主人公がかっこいいけどかっこ悪い。

最後までちゃんと読むべし。

 

デス博士の島その他の物語 (未来の文学)

デス博士の島その他の物語 (未来の文学)

 

デス博士の島その他の物語 ジーン・ウルフ

何度読んでも面白い。何度読んでも判らない。何度読んでもくらくらする。

そういう本。

ジーン・ウルフ殊能将之のサイトで読みはじめた。

あの抜群に頭のいい人がジーン・ウルフを語る時に

「判る必要はない、読んで面白ければそれが正義」的な事を書いていたので判らないけど後ろめたさはない。でもわからないのに面白いとかすごすぎる。

・・・でもわかったらかっこいいなとは思う。

 

番外

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 ぼくがカンガルーに出会ったころ  浅倉久志

日本でSFファンをやってたり海外SFを何作か読んでたらきっとお世話になっている浅倉久志さんの本。

彼の翻訳だからこそ、ディックもカート・ヴォガネットもジーン・ウルフも楽しく読めた気がする。

この本にある彼のSF作家の思い出はいい入門になると思うからこれを読んでそこからSF作家を探すのもいいと思う。

彼の文章は素敵です。SFファン的には大恩人な方。

 

本当はもっとあるけど今日はこのぐらい。

「オルフェウスの窓」を読んだ。ユスーポフ家に転んだ。(主に侯爵に転んだ)

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先日、きっかけがあり「オルフェウスの窓」を初めて読みました。

こういうのがあるのでネットはやめられません。出会いは大事です。

まず初めにきっかけをくださった方にありがとうございますを言いたいです。

大感謝です。

そしてこの作品を描いてくださった池田理代子さんに大感謝です。

 

読んではうだうだしてツイッターに書き込んでみたりまた再読したり、旦那に愚痴を言ってみたりを繰り返してたんですが、ツイッターじゃ足りないぜ!!って感じなのでまたブログを広げてます。

 

レビューではないんで未読の人には何がなんだかだと思います。てかこんなの読んでる未読勢だったら今すぐ「オルフェウスの窓」を読むのがいいと思います。

あとネタバレは色々でると思うんで未読の人はやはり読まない方が吉。

 

往年のファンの人はニワカがうだうだ言ってるだけなんでいらっとくるかもしれませんが、作品の力が巨大なのでこういうのも引っ張り上げてしまうから仕方ないなと笑って許してくれると嬉しいです。(あと初読了直後でこううわごとを繰り返してる最中というか・・・)

 

さて、感想というか愚痴というかうわごとというか何ですか

まずはなんで今まで読んでこなかったんだ自分、って感じですね。

池田さんは旦那の担当でベルばらも結婚して旦那の蔵書から改めて読み直した感じです。あと出崎カルテットの大ファンなんで「お兄様へ」はアニメから入って読んでました。でもオルフェウスの窓は読んでなかったです。

今回、家に文庫で2巻まであったんで読みだしたらあんまり面白いものだから後続巻も入手してきたんですが、あんまり面白いんで読み終わるのがイヤなくらいでした。

とても華やかだったり設定がドラマチックなんだけどこう駒のような登場人物がいなくてモーリッツのようななんか駄目駄目な子供もその生い立ちからくる「愛されて育った子供」の健やかさと健全さがあったりしてその人の失敗も後悔も行動も喜びも悲しみも納得できるというか、あとみんなちゃんと生きている。

最初の舞台が音楽学校という事で「音楽」が大きな軸で話が転がっていくんだけど、この音楽と祖国の革命に引き裂かれるあたりとか「変奏曲」のエドナンを彷彿させるなぁと思ったり、バルバラ姉さまが本当にかわいいなぁ、すてきだなぁとか・・・いや、女性いいですよね。

いや、本当にバルバラさん大好きで。

高野圭吾さんの訳詞にある、

 バルバリ バルバラ 世界は回る

 空を ごらん もうじきに春

 年ごとのリラ それが人生よ

 さぁ 涙をおふきよ

のままに幸せになってほしいなぁと思うのです。

 

て、ここまで前置きなんですが、第1部のラスト、なんか読んだ気がするんでここまでは以前読んだ可能性も高いんですが、第2部を読み終えた時点で既に終わりたくなくてまた最初から読み直してたりしたんですが、こう色々本番は文庫6巻からの第3部ですね・・・

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まぁ、第3部というよりユスーポフ侯、この人でしょう。

かっこいいじゃん、この人。ビジュアル、大好き!!!

・・・ごめんなさい、ミーハーです。

レオニード・ユスーポフ候。

ロシア帝国ロマノフ王朝、最後の皇帝、ニコラス2世に仕えた陸軍軍人で侯爵家の若き当主。

これだけでもうすでにつぼなんですが、この人、かっこいい上にめっちゃ、馬鹿だった・・・。

その馬鹿さ加減が本当につぼだった・・・。

有能なんですよ。すっごい軍人として秀でてるの。

でも、頭がいいの。すごい状況みてるの。

軍人としてロシア帝国に、ロマノフ王朝に、ニコラス2世に仕えてるんだけど貴族社会が腐ってる事ももうロシア帝国が斜陽の真っただ中にある事も冷静にみてるの。

で、その中でただただ盲目にニコラス2世につかえてるわけでもないの。

さいごのさいごまでこの時代の中でロマノフ王朝が残っていくためにはどうしたらいいのかというのを歯を食いしばって模索して行動に移し続ける。

理想だけに凝り固まってるわけでもない、時代が変わり目だという事もちゃんと理解してる。

理想だけが高くて色々あっけらかんと手放してしまうというのでもないの。

そういう意味ではちゃんとしぶといの。

自分の出来る事は全部やるし、絶えるし、泥も被るの。

そういうふてぶてしい所も大好きなの。

でもさいごはやっぱり、どうにもならなくなっても「ニコラス2世を守る軍人」として火のような塊の人だったりする。

・・・こう、馬鹿でしょ、本当に馬鹿。

色々、判ったうえで冷静に自分にできうる限りの最善手を打って、打ちどまりになって引き返せない所に来ても絶望するでなく自分の情熱を全うしようとする。

情熱も胆力も行動力も洞察力も兼ね揃えている。

青い炎が一番、あついんよ・・・・(涙)

もう多分この人の人生、ある意味幸せなのよ・・・ファンとしてはこう「穏やかな幸せを。」とか思うんだけど、そういうの幸せじゃないんだよ、この人。

・・・でもつらい。死んじゃいや。

もう、それはもうユスーポフ候じゃないとか判っててもあんな苛烈な幸せじゃなくて柔らかい幸せに包まれてほしかった・・・

・・・いや、何がそれなのか本当に想像がつかないんだけどさ、そんなの。

 

あと、あんなにあからさまなのに女性への恋心に対する気づきが、自覚がないとかな・・・

あと、ライバルと対等でいたいからって恋敵をこっそり何度も助けちゃうとかな・・・

なんでそんなところだけ真っすぐ純真で子供なん・・・

ユリウスだって転びかけてんだからどんな手を使っても落としちゃえばよかったのに・・・(それはユスーポフ候ではない・・・)

 

ユスーポフ家ですが、侯爵のレオニード、その妹のヴィーラ、そして弟のリュドミールが皆さん、素敵です。

いや、特に兄と妹である、レオニードとヴィーラが。レオニードとか呼び捨てにするのが心もとないのでユスーポフ候とヴィーラと言いますが、この兄妹の関係が見事すぎる。

二人とも強くもあり、弱くもあり、脆くもあり、でもやっぱり強い。

そして二人とも頭がいい上に潔い。潔さすぎる・・・。

でもさぁ、ちゃんと情熱もあるんよ・・・お人形さんじゃないの・・・

あんなに勘が良くて頭がいいと幸せになれないんよ・・・(いや、二人とも十分幸せなんだけど・・・)

もう、なに、この二律背反な感じ・・(いや、なんか違うんだけどこうなのみたいな・・・)

ヴィーラは女性で基礎体力が高いから生き残るけど、ユスーポフ候は男性だからそうはいかないんだよ・・・(うわーーん。)

 

なに、もう、大好き・・・(色々ドッカンし過ぎて頭はすでにいっちゃてるもよう)

こうね、この兄妹の関わりというかお互いがお互いを理解して大切にしてる様が本当に美しくてね。

そいで、ヴィーラがある意味での「男たちの美学」のずるさをぐっさり見抜いてる所とかな・・・そしてたぶん、そのずるさと愚かしさをユスーポフ候はちゃんとわかっている。

わかっているんだけどその道を進むしかないのよ。

・・・そうよ、そういうユスーポフ候だから自分も転んだんだよ。

だけどつらいじゃん。こう心許しあった人たちと柔らかい幸せにも包まれてほしかったじゃん。(←本当にそうなったら真綿で首を絞められるかんじかもしれないけど・・)

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そういう意味ではリュドミール君がヴィーラに救いをもらたしたのは嬉しかった。

ヴィーラが「報われた」と思える瞬間があってよかった。

嬉しい。

それがヴィーラの色々を溶かして彼女が幸せになれるといいのに・・・(祈願)

 

あと初見はユスーポフ候の部下のセイゲル大尉がユスーポフ候の事大好き過ぎるだろうと思ったんだけど(そしてそれは読み込むたびに確信に変わるんだけど)再読するごとユスーポフ候もセイゲル大尉の事大好き過ぎるだろうと気づかせてくれる。

 

・・・うわぁー!!って感じだったりする。

 

いやね、ユスーポフ候、恋をするユリウスの事、軍人として守るべき対象としてのニコラス2世とロマノフ家、情熱的に大切なのよ。

そしてそこもすっごくなんかいいの。

でもね、セイゲル大尉の事はもう空気なの。ひとつの命を分け合っちゃってるの。

信頼とか信用とか色々超えちゃってるの。もう疑うとかそういう必要ないの。

それは情熱じゃないの。こう、もう動かしがたい現実なの。

で、自分ではない他者を自分の中のカテゴリーでそう決まっちゃうことが相手に対してある意味失礼な事も重々承知してるの。

自分の我儘っぷりをすごいわきまえてるの。

でもその人にある意味甘えてるもんだからそれを吐露しちゃうの・・・

もう、つぼるしかないでしょ・・・

(いや、怒られるかもしれんが(誰にだ)

本当になんかそういう馬鹿さ加減が可愛らしいというか愛らしいというかな・・・)

 

セイゲル君の方は一つの命を分け合っちゃってるんだけどもうこっちは情熱的よね。(←私見)

ひとつの命をわけあっちゃってるっていうか、セイゲル君にとってユスーポフ候が命なのね。セイゲル君の。

まぁ、ある意味盲目的なんだけど、こういうの好きだな。

いや、だからちょっとすれ違うんだよ。なんか微妙にすれ違うの。

でもひとつの命を分け合っちゃってるのも間違えないの・・・

だからすごい切ない部分もあるの・・・。

 

この二人をみててもオルフェウスの窓の終盤でダーヴィットの独白ともとれる

「人間と人間のふれあいというものは・・・

で始まる文章はぐっとくるものがある。

もう、登場人物みんなうまくいかなかったり、不器用だったり、小器用な自分に傷ついたり、卑怯だったり、絶望したりする。

でも人と関わったり、愛したり、感動したり、心を傾ける事をやめる事も出来ない。

なんかみんな自分の生を生き切ってるんだよね・・・。

 

もうさ、正直、ユスーポフ候がいっちゃうと一瞬もう読まなくてもいいやって気にもなるんだけどどうしても最後まで読んじゃうのはバルバラ姉さまとダーヴィットの幸せが待ってるからだよね。

「素晴らしい青春を篭絡しに。」

もう、なにこれって感じで素晴らしい。

やっぱり人生って生きるに値するんだよ。

何かに心を傾けるってそれだけの価値があるんだよ。

 

辛くても苦しくても、よしんば傍から見たら無意味にみえても。

だからさいごまで読むとユスーポフ候がちゃんと幸せだったことは判るの。

納得も出来るの。

だけど、こうお話とかぶち壊しでも、人生ぶち壊しでも、

安直に幸せに見える顛末をみたかったよーとかも思わせてしまうあたりこの作品凄いっす。

てか、多分、ファンの声はそういうのいっぱいあったと思うんだ。

ユリウスとミハイロフの二人なんか特に。

でもそれをやったらその人たちはもっと違う意味で致命的に死んじゃったと思うんだ。

でもそうならなかった池田理代子さんの「オルフェウスの窓」に注いだ愛情と情熱は半端なかったんだろうなと思うと遅くなったけどこの作品に出会えてよかったと心から思うな。

 

でもなんかオフでのんびりしたユスーポフ候とか見たいよね。

音楽とか聴いてお茶とか飲んじゃうの・・・

セルゲイ君もそこに当たり前のようにいたりするの・・・

いいよね、つかの間の休息って。

・・・こうやって妄想はたくましく育っていくのだった。

 

知らないとは言えユリウスとミハイロフをシャールとディーンに間違えたのは大変失礼だったけど、自分的には大ラッキーだった。

そして麗しかった。

・・・・ユスーポフ候はもっと美しかったけど!!!

 

あと、ロシア文学とドイツ文学を色々読み返したくなった。

クラシックも色々かけながら「オルフェウスの窓」を読むのは楽しい。

皇帝は勿論、ピアノ協奏曲は作品にあうね。

彼らの休息には「ショパン」とか透明な感じがいいかも。

 

もう一度いうけど未読の人は「オルフェウスの窓」よむといいよ。

三原順の事 まずはDDの事など。

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ツイッター三原順の事をつぶやこうとしたらどうにもおさまらないので久方ぶりにブログを開いてみました。

レビューとかではないので読んでない人はわけわからん内容になると思うけど申し訳ないです。

 

三原順は大好きで自分にとって大切な作家です。

物凄く面白い・・・がものすごく難しい。

上の「XDay」にしてもカウンセリングの扱いとかちょっとなと思う所もある。

大体、三原順の生み出した作品というのは「大賛成」とか言うと

「お前、そんなこと言って大丈夫か??」と後ろからガツンと殴られるような怖さに満ち満ちている。

なんというか自分の駄目な所やずるい所、汚い所を目の前に並べられるような部分もある。

どうしてそんな作品群を読み続けているのかと言われると一言でいうと難しいし、色々あるんだけど一つには「DD」というキャラクターに出会ってしまったからというのがある。

「DD」というのは「ダドリー」と言って「XDsy」や「Sond」「ムーン・ライティング」の主人公です。

「XDsy」や「Sond」「ムーン・ライティング」のDDはちょっと別次元の人物なんだが体験的な部分で重なっているはずで、彼は幼い時に産みの母に殺されかけています。

この体験は自分に重なる部分なんだけど、重なるだけに彼の作品でのDDの考える事、行動は個人的に自分の事のように迫ってくる部分があります。

例えば「Sons」で親友のトマスが祖父を亡くした夜一緒に過ごすというシーンがあるのだがDDは彼とオセロをしながら、まるで普段通りにオセロをしながら機械的に涙を流し続けるトマスにたいして

「トマスは笑う 笑い乍ら涙を流し続ける そしてオレは祈り続ける

 どうか泣き叫びださないでいてくれ

 どうか喚き始めないでくれ

中略

 オレは怖いんだ。

 爆発した感情を受け止めてやる役など

 オレは苦手なんだ

中略

 オレはもう

 あんなものは受け止めたくない

後略」

と心の中で思う。というか、切実に祈り続ける。

トマスに対して同情心なりかわいそうという気持ちがないわけではないけれどそれ以上に自分の事がきになってしまう。

これを読んで冷たい、ひどいという人もいるかもしれない。

ただ、自分は実感として「こうなるだろうなぁ。」と思ってしまう。

こう体験が傷になってまっとうではいられなくなる現実が痛いほど出ている。

「Sons」ではDDがその「傷」によってできた欠陥にあちこちで向き合う事になります。

どこまでいっても自分だけが大事な自分を苦々しく思うシーンもあります。

DDの話は「Sons」も「XDay」も解離性障害、とくに解離性健忘、解離性の離人感については物凄くきちんと描きこまれている。

・・・三原順が作品を発表したころにはまだ一般的な話ではなかっただろうに、作家ってすごいなぁと思います。

「Sons」にしても「Xday」にしても話の中で色々なエピソードやメインのエピソードはあり終わるのだが、何か問題が解決するわけではありません。

というか問題をはらんだまま(ひどい時は新たな問題を)今日もまたすぎ、明日がやって来るのをとどめる術はない。

ただその中で「Sons」のDDは

あれは自分が生きたいとおもったが故の事毎の埋葬だった。

だからあの頃の自分がやってきたら「ようこそ」と言おう。」(大意)

と彼にしては腹をくくる。

そして「XDay」のDDは写真に上げたように

「やはりボク達は負け続けてしまうのです

 そしてボクはすっかりいい気分になってしまい・・・

 やはり飢えながらけれどすっかり幸福な人間になってしまったのです。」

そういう瞬間瞬間を確かに彼は体験する。

「飢えながらでも幸福でいい。」というのは

なんというかとても自分を安心させました。

解決しない問題もあるし、過去も変えられない。

取り戻せないものもあるし、決定的に手にない物もある。

それでもなお幸せでいい。という。

まぁ、自分勝手な解釈ですが自分はそう思う事で腹を括れて前に進めた部分があります。

 

三原順は人の汚い所、どうしようもない所もいやがおうに見せつけるのですが

こう、人の図太い、しぶとい、生き抜く力も描いていると自分は感じます。

汚い所やずるい所に目を背けずにその上で人のしぶとい所を描き出す部分に

尊敬を感じるというかそういう部分が美しいなぁと思います。

もっとみんな三原順をよむといいと思います。

 

あと、三原さんはとても音楽を感じる。

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アンジーなんかはシャンソンカンツォーネを。

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タンゴを

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ジャズを。

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ポップスを。

 

彼女の物語としては硬質な作品群を彼女の絵か感じさせる音楽が柔らかく空気のように物語を支える。

そういう空気感も大好きなのです。

平蔵さんの事。 ~夜廻り猫を読んで~

 

夜廻り猫 1 今宵もどこかで涙の匂い

夜廻り猫 1 今宵もどこかで涙の匂い

 

 

夜廻りねこが発売された。本屋さんで予約したら「3冊入る予定だから取っときますよ。」ってなったんだけど発売日朝に行ったら店頭にはもう並んでなかった。

そして先日再び本屋さんに行ったら初回出荷版(カバー裏に夜廻新聞付き)が積んであったんで嬉しくなって1冊布教用に購入してきた。(実はまねっこ。)

「購入したんだからもう1回レビューとか書いちゃおうかな」って思って、読書メーター、ツイッターに続き、はてなで下書きを始めたんだがどうもうまく進まず、うだうだしてたら昨日本屋さんに行ったら初回出荷版がもう2冊しかなかった。

・・・やっべー、思った以上にはけるの早い。

ネットは早い方がいいのに(新刊の紹介)ぐずぐずし過ぎた。

なんで、あんまりまとまらないけどつらつらと思った事を書いてみる。

あっ、結構しっかりネタバレするんでネタバレ嫌いな人は読まないでください。

 

「夜廻り猫」は遠藤さんという猫が

「泣く子はいねがー 泣いてる子はいねがー。」と夜回りをし、つらかったり、人知れず頑張ったりしてる誰かの話をきくのが柱となっている。

原則、何かしてあげるとかアドバイスするとかなし。

つらい誰かに「心で泣いておったな。」と促して話を聞く。

52であかされるんだけど平蔵さんは誰かのつらい話を聞くたびに背中に傷を負う。

別の話でも平蔵さんの背中が傷だらけであるというエピソードがある。

この部分の事を思うとちょっと泣きそうになる。

 

お話の中でも空気として「平蔵さんは話を聞くだけ。」と流れたりするんだけど「話を聞くだけ」って本当はかなり凄い。

誰かのつらい話を聞くとき、えてしてアドバイスしたり、説教したりしがちだ。

でも平蔵さんは違う。

「話を聞くだけ。」そして語れるときは「おまいさんは大丈夫。」「おまいさんは頑張ってる。」って受け入れる。

語れない時もある。平蔵さんは黙って相手の話をじっと聞いて、自分のどてらをかけてあげたり、手を握ったりすることもある。そこに言葉はない。多分、それをするには物凄いエネルギーが必要だ。

アドバイスしたり説教を始めたりって、勿論、それが必要な時もあるけど、それを始めるともう他人事だったりする。

じっと聞くだけっていうのは相手のつらさの一部を引き受ける事だったりする。

平蔵さんは「にっこり」って自分で言ってこっそりその相手のつらさの一部を引き受ける。

「自分(平蔵さん)も傷つく、相手のつらさも消えない。意味ないじゃないか。」って語る猫に平蔵さんは「そうだなぁ」って受け入れる。これも否定しない。この否定しない平蔵さんがとても好きだ。

でも、相手のつらさは消えないけど、平蔵さんが引き受けてくれた分だけは減るんだよね。減らなくても平蔵さんが一緒に持ってくれる部分があるんでちょっとだけ軽くなる。それが大事な生命線になる時も凄くある。

 

だから平蔵さんの背中には傷が増える。「よっぽど弱いんだ。」って心配されるほどはげて傷だらけになるくらいに傷が増える。

でも平蔵さんは「にっこり」っていう。

その事を思うとなんだかきゅーって泣きたい気分になる。

そして、平蔵さんが大好きだって思う。

 

自分も平蔵さんのように沢山の人の話を平蔵さんのようにきくことはできないけど、縁のあった人たちの話は平蔵さんのようにきくことが出来るよう精進したい。

 

平蔵さんの友達の猫が平蔵さんをみて「自分はああはできない。」っていう場面がある。一緒に住んでる人がそれに対して「できないから違うから平蔵さんを助けてあげられる時がある。」って語る。(なんか該当部分を探し出せないんでうろ覚え。)

これもかなり好き。

それぞれみんなで一緒に生きていくってどういう事なのかを教えてくれる。

あと、重郎への「うまれた事への祝い」とか重郎への名前の贈り物とかわがままモネの事とかラピとその下の子の話とか、

「うぉー、これ、すっげ、いいんだよ。」

ってのは他にも多いんだけどきりがないんでまとまらないままここでおわりにする。

 

まだ、本屋さんに走れば「夜廻新聞」がカバー裏についてる初回出荷分が多分てにはいる。気になってる人は今走るんだ。

 

平蔵さん、素敵だよ。

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中途半端は色々と嫌われたなぁ。~コンテンツを手段とするとずるいって言われたよね~

 ここん所、オタクとサブカルの話が色々な所で繰り広げられていて、大体がオタクとサブカルの区別が自分、ついてないじゃね?って感じだったんでとっかかりとして次の2冊を読んでみた。

融解するオタク・サブカル・ヤンキー  ファスト風土適応論

融解するオタク・サブカル・ヤンキー ファスト風土適応論

 

 

 

ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く

ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く

 

 ちなみに自分は1970年代前半生まれ、地方都市在住で相変わらず地元を離れず暮らしている。高卒でそのまま地元で働いて結婚って流れ。

やっぱり自分と自分のまわりに一番興味があるんで読んでてもそこを一番考えてしまった。だから以下は感想っていうより自分語りになる。

読んで思ったのがこの本もそうだし、オタクとかサブカル、あとネットやメディアで見聞きする新人類や就職難世代とかって大卒基準なんだよね。高卒の自分はちょっと違和感を感じる話が時々出るかな。

自分は世代的には就職氷河期の最初なんだけどそれはあくまで大卒の子達の話であって高卒でそのまま就職した自分はバブルの最後の瞬間を体験した。

良くも悪くもあの体験は「裏打ちのない能天気感」というか「ま、何とかなるだろう。」というお気楽な基盤を自分の中に作っている。

そういう意味ではちょっと上の世代に近い所もあるのかもしれない。

読んでみて気になったのが自分が「オタク」なのか「サブカル」なのか「ヤンキー」なのか「リア充」なのかっていう所なんだけどなんか全部そうだし、全部違う感じもした。

 

いや、正直に言うと、ここの所あまり話題にならないんだけど、「オタク」でなく「おたく」って言ってた頃、自分が高校生の頃(コミケではキャプ翼の同人がさかりの頃)女性はどんなに趣味嗜好がおたく的であっても「おたく」とは呼ばれなかったと思う。「おたく」っていうのはかなり限定された言葉であってそこには「男性である。」って記号も入っていた。

大体、女の子同士がやってる同人誌活動ってかなりコミュニケーション能力が求められたと思う。ゲストを呼ぶとき、ゲストに出る時、サークルを作って本を作る時、とても人とその作品を大切にすることを求められたしそこを外れる訳にはいかない空気があった。

だからおたく的な女性ってコミュニケーション能力は普通より高い人が多かったように思う。

 

「おたく」と「サブカル」の違いはなんかこう自分、かなり間違ってるのかなぁと思わされた。

自分はDCブランドとか渋谷系の音楽とかあの頃いっぱいあった自主販売のCDなんかかっこいい系がサブカルと思ってて、SFとか漫画とかアニメとかオタク的趣味だとつい最近まで思てたんだがこの本を読むとオーケンはサブカル者らしい・・・

著書を全部読んでないからそういう事がおこるんだろうけど大槻ケンヂって「UFOオタク」で読書傾向もおたくだなぁと勝手に思ってた。書く小説もそんな感じに思えるし。

この本ではないけど「エルリック」がサブカルで「スレイヤーズ」がおたくだって区別もびっくりした。

・・・だって、両方ともおたくだろうにって。(両方とも大好きだが。)

なんかなぁ、こういう認識のいい加減さが自分がいろんな場面で趣味を突き詰めている人、いわゆる「尖った人。」に嫌われたり煙たがられたりきょとんとされる理由なのかなと改めて思い至った。

多分、そこに意味を持ってる人に「エルリック」と「スレイヤーズ」を同じに語ったらイライラさせるだろうし、どんなにオーケンが好きだと思っててもオーケンをサブカル者だと思ってる人に自分の「おたく的オーケン」の話をしたら逆鱗に触れる事もあるだろう。

そしてその差異ってものすごく重要なのね、多分。アイデンティティ的にも。

ま、それは「おたく」や「サブカル」だけでなくシャンソンが大好きな人たちの中で越路吹雪の話をしてる時に「次郎長三国志の越路吹雪の話をするとなかったかのようにスルーされる。」とかジャズファンと話しててあれもこれもそれも好きって話をすると「あれとこれとそれを同列に語るな。」って説教されるのと同じ事かもしれない。

高校の時に同じようにオタク的なものを好きな友人にポツンと「でもあなたはちょっと違うからな。」って言われた部分かもしれない。

その違う部分というのは「コンテンツを手段にしてる」って部分かもしれない。

熊代さんの著書にある「マイルドヤンキー的な部分」となるかも。

自分は皆に「居場所を探してるように思える。」ってずばり言われるぐらい「承認欲求」より「所属欲求」が高かった。

勿論、嫌いなものは読んだり聴いたりやったりしないけど、人と仲良くしたいがために本を読んでみたり、アニメを観てみたり、音楽を聴いてみたり、競馬をみてみたりした。つまんないと思えばやめるけどたいてい面白いんだよな。あと仲良くなりたい人の愛好してるものだから「その人への興味」が面白くてそのコンテンツを消費し続けるって部分もでてくるし。

端的に言って貧乏だったので子供部屋もなかったし、子供時代に溢れるほど物を買ってもらえるという訳ではなかった。

じゃぁ、どうするかというと、図書館とか視聴覚センターとかテレビとかラジオとかあまりか全くお金のかからない手段でコンテンツを探していた。

だからテレビでいっぱい映画を観たし、本を読んだし、視聴覚センターでレコードをたくさん聴いた。(地域的な事情でジャズのレコードが多かった。)ラジオで音楽と落語と小沢昭一やオールナイトニッポンにまみれた。

 

どうもコンテンツを手段にするのはずるい事だと認識されがちだし、そういう部分も勿論あるんだろうけど、コミュニケーション能力がそう高くない自分は「コンテンツの力」にかなり助けられてきたし、今現在も助けられて楽しく生活を回している。

結婚の前は蛇蝎のように嫌われてた義母とは美空ひばりや三橋美智也に助けられてるし、血のつながらない難しい年ごろだった娘たちとはボカロや漫画やゲームがパイプになってくれる時も多い。

小学生の息子とは児童文学やアニメ、ゲームを一緒に楽しむことで色々楽をさせてもらっている。

空手でコミュニケーションをしようとかかなり難易度が高い。コンテンツの力は偉大だ。

あとあれだな、思春期の頃も、20代の頃も自分、最先端だった事ないんだよな。(働くようになったら東京にコンテンツ消費の為に月2で上京してても。)

一番好きなものは 小学校から「山之口獏」で「3代目江戸家猫八」小沢昭一になじんで、中学の頃は「ユル・ブリンナー」「ポール・ニューマン」が大好きで、マキノ雅弘が大好き。平井和正信者だった。働くようになったらうっかり体験した「高野圭吾」のシャンソンに心を奪われた。

・・・・とにかく古いんだよな。そして俗。そしてミーハーの節操なし。

そして周りに判ってくれる人は少ない。「私だけが理解者」みたいな結構勘違いな充足はあるけど。

まぁ、旦那とかなり趣味嗜好がかぶってて一緒に話したりするのが楽しいだが、彼と最初に盛り上がった話題はウルフガイの郷子さん押な話。

あの夜は一つの奇跡だった。

リアルにふいに話した趣味話がばっちり嗜好が一緒で大盛り上がり。行きつけのバーのマスターがそっと奥に引っ込んだんだよな。後々ネタにされた。(他に客がいなかったって言うのも中々出来過ぎだし。)

旦那の事は大好きだし、尊敬もしてるけどあの夜の話がなかったら結婚はできてなかったと思う。どういう流れでそうなったか判らない。

でも人生にそういう事って起こるんだよね。

人はやっぱり多少の差はあれ人と付き合っていかないと生きていけないからコミュニケーションはできた方がいい。

出来なくてもこの人となら出来るっていうのもあるからそういう人を探すってのも大切かもしれない。

バーべーキューも海水浴も勿論楽しい。

 

地元にいて子供がいて友達がいてってやっぱりカテゴリ的には「マイルドヤンキー」なのかな。それが自分だって思ったことなかったけど、この本を読んだらそこに落ち着くのかなって見えたのが読んでて面白かった。

でもな、自分、正直コミュニケーション能力は高くないし、低いと思う。だからこの本読むとコミュニケーション能力がめっちゃ必要に思えるけどわりとそれが低くても友達や仲間の中では「低くても大丈夫」な場合もあると思うとちょっと伝えたいかな。

 

ハンター・ハンター連載してるね。

先週、ハンター・ハンターがジャンプ誌上に載ってたんで慌てて
いそいそジャンプを購入してきた。

ま、周りから見たら幽白の頃から富樫信者なんだろうと思う。

今週も載ってる。
当然購入。

先週は絵が綺麗だったのとわりとかわいい系、きらきら系だったんでツイッターで
奥さんペン入れ説が駆け巡ってた。(奥さんはセーラームーンの武内さんね。)
綺麗だから、きらきら系だから武内さんだってのは笑った。
富樫って力入ってるときは本当に線が綺麗だったり力強いし、生き生きしてるから
個人的には先週も富樫本人のペン入れだと思う。
まぁ、そんなのはどっちでもいいんだけどさ。
富樫ってほとんどアシスタント使わないらしいけど基本漫画って共同作業だったりするし
殆ど使わないというはるき悦巳とか富樫のが変わってるし。
富樫の頭ン中からでた話である事は間違いないしね。
ま、絵も富樫だし。

でも今週はクロロ×ヒソカが始まってて、これについて「奥さんがペン入れ。」みたいなことをいう人は少ないんじゃないかな。
だてTどう見ても富樫の絵だよねぇ。
クロロもヒソカも悪役チートキャラなんだけど
(・・・ま、ハンター・ハンターは割にみなチートだが。)
ここまで徹底したチートが最高に魅力的ってやっぱ富樫って天才だよなぁと思う。
ハンター・ハンターの続きが読めて、しかもクロロ×ヒソカの対決が始まったってどんだけお祭りが揃ったって感じでワクワク。

で、ここからが本題なんだが
ツイッターなんかで色々検索してたら
どうも富樫、寝たきり状態だったらしい。
慌てて先週のジャンプ引っ張り出して富樫のコメント読んだら
「便座や椅子に座れる幸せ。体もえらいもんで寝たきりのときはウ〇コも出ない。」
ってあった。

あっちゃー、持病があるとはきいてたけどそんなに酷い事になってたんだ・・・
なんか噂だと前の連載時や単行本の時はぎりぎりまで無理をしたらしい。
というか超えて無理をしたらしい。
うーん、やっぱ日本で漫画家やってると
しかも週間連載持ってるってブラックだよねぇ。

まぁ、富樫が好きで無理したんだって言う体裁になってるけど
集英社のジャンプだよ、尾田さんも手術したのに2周の休載で復帰してたし
空知も倒れても休載は1週だったよなぁ。
そりゃ本人が描かなきゃ載らないんだろうけど、やっぱかけられるプレッシャーは半端ないよね。
それを「好きで無理した。」って言っちゃうのは違うと思うかな。

富樫、働かないとかやる気ないとか言われてるけど
そういう側面もあるんだろうけど
こういう事情なら、噂通り「ファイナルファンタジー出たから漫画描いてる暇ないんじゃね。」
という噂が本当の方が個人的には嬉しい。
それでもいいじゃん。
だって富樫、別に今漫画描かなくても犯罪なしで自分の力で生きていけるんだしさ。

鳥山明はこのブラックな日本漫画家を取り巻く状況で嫌気さしたし、はるき悦巳は介護と両立は無理だからって連載やめたんだよね。

なんだかんだ言って富樫って幽白の時も集英社と闘って連載終了をもぎ取ったりしてるんだよな。
一番に作品に対して真摯だし、次に読者に対してだって真摯だと思う。

ネタ的には「富樫はたらけー。」とか言うけど
やっぱやくざ稼業で本人の腕一本であの位置にいるんだから
彼はすきなようにやっていいと思うな。
だって、その結果は彼にかえってくるし、漫画ってその時面白くなきゃそくそっぽ向かれるもん。

でもネタや冗談でも本人の目に入る可能性のあるネットとかで
「富樫はたらけー」とかいうのやめよっかなってちょっと思った。

いや、富樫が描きたい時に書いたものを読めればいいや。
富樫は体も心も大事にして好きな事やってほしいよ。
その中に「漫画を描く」があったら嬉しい。
ジャンプでも同人でも追っかけられる媒体なら追っかけるよ。

だって富樫の作品って面白いもん。
自分が面白いって思えるならもう他人の評判とかどうでもいいや。

あと10時間 ケアクラウンで療養中の子供たちに笑顔を(クラウドファンディング)

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https://readyfor.jp/projects/oira2525clown
自分も今朝知ったんですが名古屋を拠点に10年来活動されている「ケアリングクラウン」のボッチ☆アダムスさんが

「マジックなどケアリングパフォーマンスをするための新しい道具を購入するために」
という事でクラウドファンディングをされています。
自分も支援で参加しました。

あと、10時間で終了してしまいます。
目標額まであと2万4千円です。

自分が初めて「ケアリングクラウン」に触れたのは愛地球博の会場ででした。

当時の自分の日記を振り返ると

 撮影は禁止だったので写真は取れなかったけど面白かった。ステージ上ではまじめな話が展開されてるんだけど下ではクラウンたちがこっそりと様々なパフォーマンスを繰り広げてる。最前列の4.5歳の男の子が寝転がってるクラウンの上にさらに寝転がって他のクラウンにぎゅーって抱っこされたりしてるのを見てるとなんだか不思議な気分になったよ。
 トークの内容は主に「ケアリング・クラウン」の話が展開されていた。漠然と存在を知っていたけど「ケアリング・クラウン」という言葉を認識する自分にとっては初めて聞く事が沢山あり、とても面白く、有意義だった。沢山の人に聞いて欲しい話だった。トラウマ・セラピストであり、レクレーション・セラピーを行うという話とその後のパレードやステージでのパフォーマンスを見せるとか表現するにとどまらず客席にいる人たちを受け入れ、盛りたてる彼らを目の辺りにして、クラウンて単純に芸人と思ってたんだけど一線を画するものと実感した。(いや、芸ももちろん観客との交流はあるし、観客を受け入れる事、盛り立てる部分もあるんだけどその前に自分自身の芸を確立する事、自分が先にあると思うんだ、クラウン・フェスで見たパフォーマンスは相手を受け入れる事が先にあってそこから始まってるように思えて凄い決定的な違いを感じたのね。)


とある。

なんというかそこにいた子供も大人もそ本当にそのパフォーマンスを楽しんでいた。
安心して大笑い出来るって感じだった。

で、これを病気の子供に届けるってとても素敵な事だと思うんです。
病気の、特に長期の治療が必要な子供って、治療などの為に「凄くいい子」
「手のかからない子」になりがちなんですよね。
・・・だって入院や治療にそれが求められるから。
それが悪いだけではないんだけど「子供らしさ」を奪ってる一面もあって
そういう子供に「子供でいられる時間」を提供してくれる活動って
とても大切だと思うんです。

まずはケリングアクラウンの存在を沢山の人に知ってほしいなと思います。


で、出来たら支援にも参加してもらえると嬉しいです。